20’thカウントダウン ~6月9日まで残り1日~『my memories ESPER』

20周年記念第二弾

『my memories ESPER』
20年の歴史の中の数ある出来事の中で
それぞれESPERの特別な思い出を振り返ります。

はじめまして、橋本と申します。
ESPERはたくさんのお客様に支えられながら、まもなく20周年を迎えることが出来ます。 私はバックルームの奥で日々電卓をたたいており、イベントの際には受付に顔を出すくらいでお客様と直接会話はなかなか出来ませんが、スタッフからは「今日は〇〇様とこんな話をして、ヘええと思った!」「そういえば〇〇様がこんなこと話されてたから、こうしたらいいんじゃない!」「〇〇様がこの店のこれがめっちゃ美味しいと教えてくださった!」 など情報を共有しており、奥にはおりますがいつもお客様に感謝しております。本当にありがとうございます。

実は私、ESPER設立以来の最古参メンバー。一番長くESPERと共にいるのが私、橋本なのです。ですから私がESPERに参加したのはもうバブルの頃でして、、、。初期の私はこちらです。

 

(この写真は20数年前、まだESEPRサロンができる前、派遣OLをしていたころのものです。アフロと今はみんなに言われてますが、当時はPUFFYになりたかった私です(笑))

私が皆様にお届けしたい「ESPERの思い出」のひとつに「宮森隆行が作るカレーパーティ」があります。割と恒例行事になっており、旧千駄ヶ谷アトリエや旧店舗で何度となく行われてきたものですが、その年のカレーパーティは我が家で行われました。 前日に宮森から、出来上がり間近のカレーの入ったずんどう鍋を渡され、「橋本さん、これ絶対焦がさないようによくかきまぜてね」というミッションを与えられました。 私はカレーはよく焦げるものだけど、自分几帳面だからたぶん大丈夫だろう、と思い火にかけました。もちろんとろ火です。長い木のしゃもじでよくかきまぜ、そろそろこれも疲れたから他の用事でもするかと鍋を離れて数分、「うん?何?この匂い・・・?」あわててずんどう鍋を嗅ぐと大丈夫だろうとタカをくくっていた例のにおいが・・・ もちろん火をきり、しばらくあ然とし、鍋が薄かったからと言い訳を考え、明日の宮森の顔がうかび血の気が引いていきました。おおあわてで別の鍋にうわずみ(底の焦げを混じらせないように)を移し替えました。

そう宮森はカレー作りへのこだわりがこちらに重圧とプレッシャーがかかるほど強かったのです…「海のカレー」「山のカレー」と銘打ち、 魚介と牛肉のカレーを作るのです。そのときはどっちだったか・・・ とにかく焦げた鍋をきれいに洗い、またその鍋にうわずみを入れました。 ベランダのサッシを開け扇風機をまわし、カーテンにはファブリーズ、少し減ったカレー にお水を足し再度かきまぜました。 翌日は平静をよそおい、なんとかばれずにすみました。 宮森は、感が鋭くうそに気づくタイプなので、そりゃひやひやものです。 その夜はふとんを横に敷きみんなで雑魚寝をし、翌日ずんどうとともに帰っていきました。

この話は何年もずっと内緒にしてきましたがこれをもって解禁させていただきました。 宮森さんすみませんでした!でもなんとかカレーを助けました。許してください・・・
「コラッ!」と、声が聞こえてきます。

バックヤードまで日々刺激的…そんなESPERと共に過ごした30年ですが、まだまだいや、、またまた刺激があって毎日楽しいのですから、それはお客様がいてくださるおかげ なのだと心から感謝いたします。
私くしもまだまだESPERを支えていかねばと思う所存であります。

 

 

 

20年という長い間、支え頂いたお客様に感謝の気持ちを込めて、20周年を記念して、6月9日から20日間、ご来店いただいたお客様に楽しんでいただけるような企画をご用意しております。是非皆様遊びにいらしてください。