改めてコンサマトリー思考

今日は長女の運動会、やっと通常通りの運動会を迎えることができました。子供達も嬉しいのか気合いが入りまくり、かけっこの練習や、創作ダンスで使うフラフープの練習を今日まで一生懸命頑張ってきました。
そんな気合いの入ったダンスを見ていたら、頑張る子供たちに心打たれうっかり泣きそうになりながらも娘が生まれてからのこの7年間のことを色々思い返しました。

私の中で子育てって私たちが目的を持って育てても『理想通り』や『思っていた通り』にいく事なんてぼぼなく、大半が想定外な事ばかりな印象です。運動ができる子になって欲しいと思い、小さい頃から外で遊ぶようにしていたのに、趣味は手芸だし運動音痴だし、本を読む子になって欲しいと思い、絵本を沢山買ってあげたり、読み聞かせたりしてきたけど、いまはマイクラしかしないし・・・それはそれでいいんだけども・・・なにか未来の結果に向かって行動してもそうならないのであれば、それならば子育ては割り切って『コンサマトリーな考え』でいたほうがお互いいいのではなんて事を思ったりしました・・・

(コンサマトリー🟰自己充足的・・・アメリカの社会学者タルコット・パーソンズによる造語)

『外で遊んであげる』、『本を買ってあげる』
その行為自体で親である私の心を満たす、その先にある結果など期待しない。そのほうが親にとっても気が楽だしだし、子供にとっても健全なのかも、なんなら生まれた時はただただ元気で健康にいてくれたらいいと思っていたはずなのに、月日が経つにつれて勝手に期待してうまくいかないって落ち込んだり、子供からしたら『しらんがなっ』って感じですよね。きっと・・・そんな事を考えながら見ていた運動会、去年はビリだったかけっこも、今年は一つ順位を上げて四位に、そんな事でも涙流して喜んでしまう私はやっぱり親バカなんです・・・

改めて考えてみると、自分が美容師を志した時もこのコンサマトリーな思考だったなと。ただ髪をいじるのが好き、オシャレがすき、日々それに触れる事の出来る環境に身を置くだけで満たされていたので、時間を忘れて夜遅くまでカットの練習したりしていました、それが好きで楽しかったから寝る時間とか遊びたいとかあんまり気にならなかった。

そして今、この立場になっておもうのは
コンサマトリーな行動を起こす事の出来る店づくりを心がける事、美容室の本来の目的の髪を切ってかっこよくなりたい、髪型を変えて気分をスッキリしたい、こういうインストゥルメンタル的な行動を叶える事はもちろんなんだけど、ESPERに行く事自体が目的になるような、そんなコンサマトリーな店づくりをしていかなくちゃなと改めて思いました。もちろんその両方のバランスをうまく取ることが一番重要なのもしっかり理解した上で。
私にとってESPERで働く事は大阪時代からの夢だったので、ESPERで働く事自体、私にとってコンサマトリーな事なんです。だから成長したいって思うし、頑張れる。
月末の土曜日の午前中に娘の運動会に参加できる、こんな働き方ができるのもESPERならでは、やっぱり私はESPERで満たされています。

ありがとうございました!!